5chまとめ

その赤ん坊は育っている

「真っ暗で音の無い夢を見たの。本当に不気味な夢だったわ。目が覚めてもう一度眠ってもまた同じ夢だったのよ。本当に何も無い、ただただ真っ暗で音も無い場所。こんな不気味な夢、忘れたくても忘れられないわ。」

師匠が茶色の湯呑みを両手で包み込みながら、小さな背中を丸めて私にそう言った。
皺の寄った手の甲には鈍い艶があり、彼女の生きてきた時間の長さを物語っている。
師匠の住んでいる場所は古い市営アパートの一室で、昔ながらの作りの1DK。
昭和の雰囲気を残したダイニングテーブルに腰掛けた師匠の後ろには彼女が普段生活している居間が見えた。
綺麗に保たれた仏壇は師匠の亡くなったご主人のものだ。
仏壇には毎日お線香と蝋燭が灯され、お水とお茶の他に季節の果物などが供えられている。師匠は来客がない日は大抵一日の殆どをその仏壇の前で過ごしていた。

「水子って育つのよね」

ため息混じりに師匠が呟く。
ゆらり、と師匠の背中側にある仏壇の蝋燭が静かに揺れた気がした。ちょうど私の背中に悪寒が走ったのと同じタイミングだった。

「そうなんですね」

師匠の呟きに対する気の利いた返答が思いつかず、出された湯呑みを見つめてそう答えると、師匠は静かに頷いた。

「そうなのよ」

師匠との会話の中に出てきたその子は育っている。
今でも確実に。
師匠が夢で見た真っ暗で音のない場所で、その子は待っているのだ。
陽の光を浴びる事を。何十年も。

 

誰かが来ている

こんな会話になったのは、先日師匠の元に訪ねて来た初老の女性の話がきっかけだった。

どこかから噂を聞きつけたらしく、一週間ほど前に相談がしたいと連絡があったらしい。
その女性が来る前日に師匠が見たのが冒頭の夢だ。
師匠がおかしな夢を見るのは珍しい事では無い。
意味が分からない夢を見た時は大抵相談者が抱えている問題に絡んでいる事が多い。
今回も師匠は前日の夢の内容がその女性に何かしら関係があるのだろうと踏んでいた。

還暦を数年後に控えた彼女は恰幅がよく、浅黒い肌と人懐こい笑顔で師匠の元を訪ねて来た。
一見すれば快活な印象を与える容貌であるにも関わらず師匠からすればその女性の纏う空気は酷くよどんでいたと言う。

「突然すみません。これ気持ちばかりですが」
「まあ、わざわざありがとう。どうぞ掛けてちょうだい」

丁寧に手土産を持参した女性をもてなした師匠は、今私が座っているちょうどこの場所に彼女を促した。

「今日は天気が良くて良かったわね。暑いくらいだわ」

「そうですね。もう時期梅雨も明けるみたいですし、溜まっていく洗濯物に悩まされなくて済むのは何よりです」

その女性は師匠と当たり障りのない会話を数分したのちに、出された湯呑みに手を付けるでも無く、突然本題を切り出した。

「家庭が上手くいっていないんです」

聞けば、長男が数年前に家を出たきり音信不通になり、次男は十年前から引きこもりに、 末娘は現在働いてはいるものの、会社の独身寮に入り殆ど家には戻っていないと言う。

姑は二十年前に他界しており、現在は米寿を迎えた舅と夫、次男の四人で暮らしている。
舅との関係は悪く、夫の妹である小姑が介護の事や舅の年金の使い方などことある事に女性の家庭に口を出して来ては、それを契機に度々夫婦喧嘩が勃発しているらしい。

「離婚も視野に入れてはいるんですが、次男がこんな状態なので踏ん切りもつかなくて。私が居なくなったら誰があの子の世話が出来るのか」

人懐っこい笑みを消した女性がうつむき加減にそう呟く、ため息混じりの相談は彼女が家庭の問題で如何に苦しみ悩んでいるかに終始していた。
その話をただ黙って聞いていた師匠は女性の悩みの内容に一抹の引っ掛かりを覚えた。

「ねえ、相談ってそれだけかしら」
「え?」

師匠の問いに女性が目を丸くする。
それはそうだろう。
彼女にとっては今現在人生において大きな岐路に立たされている状況について相談をしている最中なのだから。
しかし、師匠は続ける。

「お墓参りはちゃんとしているの」

師匠が問いかけた途端、彼女の表情が見る見るうちに凍りついた。

「何故ですか」

平坦な声音で彼女が聞き返す。
やはり何かあるのだろうと師匠はすぐに思った。

「色々理由はあるけれど、昨日あたりから誰かが私の所に来ているのよ」
「……」

彼女は瞠目したまま黙り込んだ。
師匠はそのまま続ける。

「真っ暗な夢を見たの。音の無い。」
「……」
「それに、昨日から仏壇の蝋燭がやけに揺れるの。誰か来ているのよ、“気がついて欲しい”って」
「……」

黙り込んだ女性の表情は青ざめている。
やはりそうか、と師匠はすぐに悟った。
元々師匠の元にただの人生相談をしにくる人など殆ど居ない。
相談があるとすれば何か説明のつかない出来事の因果を求めにやってくる人が殆どなのだ。

「思い当たる節があるのね」
「はい。ただ私が直接関わったわけでは無くて、亡くなった姑から聞かされた話なんです が……」

そう言って女性は静かに話し始めた。

 

 

誰かの子

女性の姑が嫁いできたばかりの頃の話だ。
戦後十数年が経っていたが、その当時はまだ嫁が姑に逆らえるような時代では無かった。
嫁と言う立場上、姑に逆らう事など決して許されるものでは無く、逆らおうものならばすぐさま子供も寝る場所も取り上げられ追い出されたと言う。
そんな時代、長男の嫁として嫁いだ女性の姑(以降Aさん)は、実に肩身の狭い思いをしながらも二人の子供を設けて育てていた。
Aさんの夫は三人兄弟で、夫と次男の間に妹が居た。
妹はどうしようも無く奔放な性格だったらしく、そこらじゅうで遊び回り、借金を作ったり、結婚をしても直ぐに離婚を繰り返すような女性だったようだ。
Aさんの姑も、奔放な自分の娘には相当に手を焼いていた。何度叱り飛ばしても一向に奔放な行動は収まらない。
それでも可愛い娘のやる事だから何とかしてこいと、姑は毎度のように義妹の尻拭いをAさんに押し付けていた。
借金があればAさんが肩代わりし、どこかで問題を起こせばAさんが謝りに行く。
時には夜の酒場に義妹を迎えに行き、全く面識も無い男に平手打ちにあう事もあった。
それでもAさんは文句も言えずに義妹の尻拭いをさせられていたと言う。
そんな問題行動を起こす義妹が何度目かの嫁に出た時の話だ。
引き止める義両親の話しも聞かずにほぼ駆け落ち同然に結婚をした義妹は、案の定何年もせずに出戻ってくる事になった。
またか、とAさんは思った。
どうせいつもの様に何食わぬ顔で戻ってきてはまた奔放に遊び回るのだろう。
そのツケが再び回ってくると思えばAさんの心労は相当なものだったはずだ。
しかも、その杞憂は想定外の形で彼女に降りかかることになる。
出戻ってきた義妹はいつもと様子が違っていた。
丸く迫り出たお腹と、些かふっくらとした身体付き。
義妹は妊娠していたのだ。それももう堕ろせないような時期で、お腹の中の赤ん坊はすでにかなり育っていた。
離婚した女性が一人で子供を産み育てる事が容易な時代では無い。ましてや母親は奔放な行動を改めようともしないあの義妹だ。
姑は頭を抱えた。
もちろんAさんもだ。
堕ろせないとは言え、そのまま産む訳にも行かない。
産んだら絶対に子供の世話はAさんが担う事になるだろう。
それだけならまだしも、隣近所には姑が娘の体裁を気にした挙句Aさんの不貞の末に出来た子供だと吹聴しかねない。
結局、Aさんがなんとか探し出した医者に大金を積んで頼み込み、もうとっくに堕胎ができる時期を過ぎた子供を無理矢理に堕ろしたのだった。
しかし、話はそれだけは終わらない。堕胎の時期が過ぎた子供は本来、死産として届出を出し葬儀の上で埋葬しなくてはいけない。
にも関わらず姑は認知もされていない子供の届出を出すなど世間体が悪いと言ってそれをさせなかった。
産声を上げることの無かった子供がAさんの目の前に突き出された。

「どこかに放っておいで」

姑に言われたのはただそれだけだった。
Aさんが腕に抱いた子供は、もうすっかり人の形を成していたと言う。
ただ小さいだけの赤黒い子供を抱いたAさんは真夜中にたった一人で辺りを彷徨った。
どこかに捨ててこいと言われてもその辺に捨てれば必ず大問題になる。
どうしようも無くなったAさんは、お墓に行き先祖が眠る墓の木の下に生まれたばかりの赤ん坊をたった一人で埋めたのだった。

暗くて音もない場所

その話を聞いた師匠は直ぐに女性に問いかける。

「その子はまだそこに居るの?」

女性は小さく頷いた。

「なら直ぐに掘り起こしてきちんとご供養してあげなさい。あなたのお子さんに問題が起こっているのもその子が障っている可能性が高いわよ」

師匠の言葉に女性はすぐに頭を振り、小さな声で「それが出来ないんです」と答えた。

「姑が亡くなる少し前にお墓を直したんです。コンクリートも打って、上に新しい墓石を立ててしまったのでもう掘り起こす事はできません」

女性の話を聞いて師匠は漸く全ての出来事に納得がいった。
暗くて音もない夢は、まさにその子が見ている景色そのものだったのだ。
誰かが気づくことも無く、その上をコンクリートで固められ陽の光も音すらも遮断された暗い場所に未だにその子は眠っている。
気付いて欲しいその一心で彼女は師匠の元に訪ねてきたのだろう。

「水子って育つのよね」

師匠の言葉と同時に、蝋燭の火が揺れた。
冷めた湯呑みを両手で包み込んだまま、私はその蝋燭を直視出来ずに項垂れた。

「そうなんですね」
「そうなのよ」

生きていたら、還暦を数年後に控えている歳だろう。
ちょうど相談者の女性と同じ位の年齢のはずだ。
気の利いた事が言えない私を見て師匠が一つ息を吐いた。

「お茶を淹れ直しましょうね」
「私がいれます。座っていてください」
「そう、ありがとう。じゃあ、お願いね」
「はい」

その言葉に頷くと私は席を立ち温くなった三人分の湯呑みを持ってキッチンへと向かう。
初めから湯呑みは三つだった。
師匠は“見えない人”ではあるけれど、きっと気付いて居たのだろう。

ずっと隣の部屋に居る、小柄な初老の女性の存在に。

 

 

 

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